本 堂
開山上人は応仁元年東西七間南北七間の堂宇を建立したが、宝暦12年に類焼。17世日妙上人・18世日進上人に依って再建される。
しかし、嘉永5年の武生大火にて再度類焼。
23世日耀上人が再建を発願し、24世日詠上人が文久2年再建着手。25世日滄上人の代、明治10年夏完成。この時、江戸善国寺住職の文承院日順上人が多額の金子を寄附されるとともに檀信徒の浄財により、七間四面の本堂を再建し現在に至る。


妙見堂
僧侶の教育機関を「檀林」又は「教林」というが、日蓮宗の重要な檀林の一つに千葉の飯高檀林がある。慶長年間にこの檀林を熱心に援助した下総国守護職千葉胤貞氏並に飯高城主平山刑部の両氏が北辰妙見大菩薩の熱心な信仰者であった事から、各所の檀林にも守護神として、妙見様を祀るようになった。
「金龍教林」と言われた当山は、学問の寺として信仰されるとともに「妙國寺の妙見さん」と親しまれ、福を招き家を鎮め、商売繁昌・病気平癒の仏様として近郷近在の民衆の中に幅広く浸透している。


庫 裡
29世日胤上人の代に総欅造りにて新築。


山 門
28世日薩上人代 大正初期に建立されたものである。


鐘 楼
29世日胤上人の発願に依り再建。
梵鐘は第二次世界大戦に軍の要請により供出するも、昭和23年31世日貞上人の代に檀信徒により再鋳造される。


一字一石塔
宗祖六百遠忌日像上人五百五十遠忌記念に建立せられたものである。


宗祖銅像並びに萬霊塔

32世日耀上人の代に、宗祖銅像及び萬霊塔を建立。
毎年銅像前にて法要を奉行している。