妙國寺縁起

当山は、応仁元年(1467)4月28日創立。 
開基壇越宗林居士 開山日東上人

御開山の日東上人は、文明3年(1471)に弟子「清般」に寺をお譲りになり、行化の旅に出、丹波国において遷化せられました。





第5世円宗日恵上人は、慶長のころ隣接する真言宗一乗坊を改宗せしめ、妙國寺塔頭一乗寺としましたが、時の推移と共に荒廃し、寛永年中に一乗寺住持・梅信院日脚上人が万邦塔を建立し、寺を廃して当山に合併ました。





宝暦12年(1762)大火により全焼。17世日妙上人、18世日進上人により再建されましたが、嘉永5年の武生大火にて再び類焼堂塔・寺宝諸記録等を焼失しました。





現在の本堂は、弘化年間に23世日曜上人が再建を発願し、文久2年(1862)24世日詠上人が再建に着手、25世日滄上人の代、明治10年夏に完成したものです。





当山は、身延日薩上人・村雲日栄尼・日浄尼当の知名の特派布教師が、当山を地域の足場として活躍されるなど、明治初期より山科檀林並びに飯高檀林の学僧の出入往来が激しく、「金龍教林」と称せられ、勇師法縁縁頭寺となっています。





28世日薩上人の代に山門建立、29世日胤上人の代に庫裡等を新築し、御開山以来幾多の災禍に遭遇するも、歴代先師並に檀信徒の強盛なる信心に依って連綿として法灯を継承し今日に至っています。