我が師 芦原英幸

       塾長である私(中山)の簡単な自己紹介をさせて頂きます。

広島県呉市出身  1960年4月生まれ

中3の終わり(1975年11月)に極真会館 芦原道場 呉支部に入門 

入門後1年11ヵ月、高校2年で初段取得(当時の芦原道場では最年少でした)

芦原会館設立直後に職員となり、大阪堺東支部の責任者に就任(20才)

結婚を機に福井県武生市(現越前市)に移り、士然塾を設立


今は別の道を歩んでいますが、私(士然塾)の師は芦原先生ただ1人です!


同年代の方に多いと思いますが、ブルース・リーや空手バカ一代に憧れ、中3で極真会館芦原道場呉支部

に入門。当時の道場生は自衛隊を中心とした社会人ばかりで、私が最年少だったと記憶しています。

入門したその日に、反撃なしで受けてくれている緑帯の先輩を力の限り蹴りまくり、足首が腫れ上がって

しまいました。(昔はサポーターなど存在しませんでした)

人を蹴ったのは、その時が初めてで、随分興奮していたのでしょう。蹴っている時は痛くなかったのですが、

みるみるうちにテニスボールを半分にして足首の所に付けたみたいになり、本当にビックリ

後から痛みが波の様に押し寄せて来て「人間を蹴るのはこんなにも痛いものなのか‥」と心底実感しました。

その後、数日間は足を引きずりながら学校に通ったのは言うまでもありません。

入門数週間後に芦原先生が指導で来呉、劇画の中の憧れの人を初めて見た時の感動は今でも忘れません。

私の外観が老けていた為、少年部としての扱いは受けず、最初から一般部(先生は最初、自衛隊の誰かと勘

違いされていた様です)として順調に昇級、目標であった芦原道場で最年少の黒帯を取得する事が出来ました。

 《この目標の切っ掛けは、最初の審査で四国に行った際に高3で初段に合格した先輩がおられ、誰かが
  『現在の最年少だ…』と噂しているのを聞いて即座に『
俺は高2で取るぞ』と決めました。
  決めてからは週3回の稽古を一度も休まず、頑張った事がささやかな自慢です。》

しかし昇段にはずっと後で聞いたエピソードがありました。

先生は当時の指導者の方々に『あまりにも若すぎる。1回待つか』(保留と言う事です)と言われた様です。

それをある先輩が『あいつなら大丈夫です』と助言をしてくれて、そのお陰で無事昇段となったそうです。

それを聞いたのは社会人になってからですが、涙が出るくらい嬉しかったのを覚えています。

 ※その“ある先輩”は現在岐阜の地で指導をされており、当HPを通じて巡り会う事が出来ました。
  20数年の時を超えて交流が持てるなんて夢の様です。

そういう良い先輩に恵まれた事が今の道場に生きていると思いますし、生かさなくてはならないと思います。

芦原英幸と言う先生は良くも悪くも個性が強く、社会人として決して良いお手本ばかりではなかったと思い

ます。しかし厳しさの中にもユーモア溢れる人物で、その何とも言えない人間性が大好きでした。

先生の下で空手を学べた事は私の誇りであり、それはこれからも変わりません。


呉に来られる度に焼肉を食べに連れて行ってもらったり、本部(松山)道場開きの翌日に、道場前の駐車場

で現正道会館の石井館長と一緒に手裏剣投げを教えて頂いたり、思い出は尽きませんが、一番鮮明に覚えて

《境内での記念写真》先生の前が私です。

いるのは私が16歳の時、呉での審査の後に先生と一緒にお祭りに行った時の事です。

途中『先生は何歳ですか』との問いかけに、私と肩を組んで参道を歩きながら君のちょうど2倍だよ

と答えて頂きました。その時は単純に『先生は自分と16歳違いなのか』と思っただけでしたが、その言葉

をなぜか鮮明に覚えています。あれから28年経った今でも時々思い出すのは何故なのでしょうか。


高校卒業後、大阪に出たのですが、そのキッカケも芦原先生の一言です。

当時の私は高校生でありながら道場の指導役になっており、先生にも『すごい蹴り』だとか何とか言われ、

きっと慢心が出ていたのだと思います。(先生は言葉でおだてるのが非常に巧かったのです)

ある時、先生に呼ばれて『お前くらいの蹴りを持っているのは大阪にはゴロゴロいるぞ』と言われ、その場

で大阪への就職を親にも言わず決めました。会社の面接でも『大阪で空手がしたい』とはっきり言いました

が、一番成績が悪い私が他者を押さえて合格したのは、燃える気持ちが試験官に伝わったのでしょうか。


私が芦原先生を撮影した最初で最後の写真です。
想えば、この頃の先生の年令をとうの昔に越えてしまいました。

 (極真会館 芦原道場 呉支部にて)

  芦原会館 大阪堺東道場時代のバット折り(稽古納めにて)
  確かこの年の全日本での演武で、三浦美幸師範が初めてバット
  折りを披露し、よ〜し俺も…と生まれて初めて挑戦したものと
  記憶しています。バットを買うのはもったいないと、道場生に
  不要なバットを持って来てもらいましたので、違う種類のバッ
  ト2本を折っているのが印象的です。