徒然なるままに (2007年 〜 2010年分)

 

 12月31日

今年もあと1日になってしまいました。ここは今年も3回しか更新出来ませんでした。さて、2年程前からVistaのパソコンでネットをしていると突然切れてしまうという現象に悩まされていました。「Vista ネットが切れる」で検索したら同じ様な現象が頻発している様で、それらを参考にしてルーターの設定を変えてみたり、ローカルエリア接続のプロパティの設定を変えてみたり、果てはレジストリをいじくってみたりと色々対策はしていましたが改善出来ませんでした。しかし、再起動したら復帰するし、3日に1度位の頻度でしたのでさほど真剣には原因究明していませんでした。(このパソコンは基本的にシャットダウンするのではなくスリープ状態で終了していました)

ところが、ここ数ヶ月に至ってはほぼ毎日の様に切れてしまう様になってその度に再起動するのはさすがにうっとうしくなって来ました。もうWindows7にアップグレードしようかとも考えましたが、検索してみるとWin7でも同じ様な現象がヒットしました。それならXPへのダウングレードの方が確実かなと迷っていたところ、またあれこれといじくっていたら何やら怪しい設定を見つけました。デバイスマネージャのネットワークアダプタの「電源の管理」に「電力の節約のために、コンピュータでこのデバイスの電源をオフにできるようにする」にチェックマークが入っています。「ネットワークアダプタの電力をオフにしてどんだけ節約になるんだ?」とそのチェックマークを外してみました。

 

一応、それからはまだ3日ですが現象は再発していません。たったこのチェックマーク1個だけでどんだけ悩まされたんだと..。パソコンはメンドクサイ。でも嘘は付かないんですね、Hi。

 

 

 

 

 

 

 

 


 7月5日

しばらく前からTS−690Sの調子が悪く、一度中を見ようと思っていながら延び延びになっていました。AFゲインを最大に回しても受信音が異常に小さく、外付けのDSPフィルターを通すと何とかなったのでそのまま騙し騙し使っていました。

しかし、まだEUが聞こえて来るので重い腰を上げて中を覗いてみました。AF辺りがおかしいのだろうとしげしげとルーペで観察開始。どうもC104(470μF、10V)の電解コンデンサ(写真の赤丸)が液漏れをしています。

基板を引きずり出して手持ちのコンデンサと交換しました。写真では判りづらいですが液漏れしまくりでした。(頭の傷はラジオ・ペンチで引っ張った時に付いたものです) 動作チェックをしたらちゃんと直っていました。修理代が浮いてめでたしめでたしです。

 


 2010年4月6日

またまた半年更新していませんでした。SoftBankのCM(白戸家 夫婦旅行3部作の2編目)で私の家から歩いて5分足らずの所にある福井鉄道西武生駅(にしたけふえき、3月25日北府駅に改称)が舞台となりました。福井シリーズで「北国」「実家」編とあわせて3本が撮影されました。他の舞台は朝倉氏遺跡の一乗谷なのに、何で無関係の西武生駅が選ばれたのか..? (一乗谷の近くを走っている越前鉄道の駅なら解りますが..) 今にも倒れそうな古い木造駅舎です。向こうに走って直ぐ右手に我が家のタワーが見えます。

 


 10月6日

またまた半年近く更新していませんでした。2007年の2月に購入した19インチのワイド液晶の電源がが突然入らなくなりました。数ヶ月前から時々兆候はあったのですが、今朝起動してみたらウンともスンとも言いません。仕方が無いのでサブPCで昨晩の皆さんの成果を拝見。

でも、電源が入らないのは結構簡単に修理出来ると何処ぞのWEBで見た記憶があったので解体してみました。後ろのビスを4本外したはいいのですが、そこからどうしたら解体出来るのか悩みました。結局力任せにマイナスドライバーで前面のフレームをこじ開けて何とか解体成功。眺めてみたら写真の様に奥の電解コンデンサーの頭が膨らんでいます。(1000μF-16V) 丁度手持ちがあったので交換して電源を入れてみたらあっけなく起動しました。

ちなみに新品の価格を問い合わせてみたら「パソコンの館」で13,800円でした。

 


 2009年5月4日

ここ半年以上更新していませんでした。連休ですが特別な予定も無く、前から行ってみようと思っていた「明智神社」に行って来ました。名前の通り戦国武将、明智光秀が奉られています。光秀と言えば主君、織田信長を討った「本能寺の変」で知らない人は少ないと思いますし、一般的にはドラマや映画等でも謀反人として余り良いイメージで取り上げられては来ていなかったと思います。

とりわけ光秀ファンという訳でもないのですが、私は信長が好きではなく、したがってその信長を亡き者にした光秀の方を好ましく思っているだけです。父は大阪出身なので先祖代々がこの地で生きて来た訳でもないのですが、信長が命じて越前の一向一揆衆に行った大虐殺で府中 (現在の越前市)の町は足の踏み場も無いほど死体の山で埋め尽くされたそうで、その数は一向衆とは無関係の老若男女にまで及び、3万〜4万人とも言われています。信長ファンの方には申し訳ないですが、地元の一向一揆研究の第一人者の故辻川達雄氏はその著書「織田信長と越前一向一揆」の巻末で信長をその異常なまでの残酷、執拗、狭量、傲慢さから「変質者(偏執狂)」とまで断じておられます。

一揆衆掃討の折、光秀はかつて朝倉氏に仕えていた時に住んでいた東大味の人々を守るために、柴田勝家・勝定兄弟に東大味を守らせる安堵状を出させたそうで、謀反人という汚名を着せられた後も3軒の農家が光秀の御恩を忘れずに400年以上に渡って奉って来たそうです。

三女の細川ガラシャ生誕の里らしい。神社と言うよりは祠と言った感じ。地元の人には通称「あけっつぁま」と呼ばれている。

小さいが資料館なるものもありました。中に来訪者ノートがあり見てみると県内はもちろん県外からの来訪者も多いのに驚きました。USAもあってビックリしました。

近くで農作業をしていたおばさんに話を伺ってみたら、やはりこの辺りの人は皆さん信長嫌いの様です。光秀の物と思われる墓標に刻まれていた敗死の日の6月13日には「公の卓越した知性と教養、そして下克上の世にあってもなお、当時の武将としては類まれな家臣や縁のある人々への心配り」にあやかりたいと毎年法要を営んでいるそうです。ちなみに、当時の戦国武将にしては珍しく正室の煕子が存命中はただ1人の側室も置かなかったと言われています

 


 10月17日

以前、「画像掲示板」にLogger32のQSOデータをGoogle Earthに表示させる事が出来る事を紹介しました。(2007年10月8日) その後、LogPrintのマップ上には6mのQSO局だけとかを表示出来るが、これをGoogle Earthにも表示出来ないかと書いた事がありました。先日、某OMから「Logger32で2000年以降分のQSOデータだけを取り出したいのだけれど」という相談を受けました。その時に見つけた機能で簡単に表示させる事が出来る事が解りました。

まず、Logger32の「Files」から「Export Logs」で「ADIF(.adi) File」を選び適当なファイル名(160mとか6m)を付けます。「Export log to ADIF file」という窓が出ますから、「Partial Log」にチェックを入れると周波数やモードが選べますので例えば「160m、CW」にチェックを入れると160m分だけのAdiファイルがExport出来ます。(この時他の2つの四角にもチェックマークを入れます)

次にLogPrintを起動させ「Log Input File」から先ほどの「ADIF(.adi) File」を読み込んで地球儀アイコンの左の青白縞のビーチボールの様なアイコン(Create Google Earth plot file)をクリックしてGoogle Earthを起動してみて下さい。

見にくいですが上左が160m、右が6mのQSO局です。(ピンクはWKD、緑はCFM) これを見ると自分の電波が何処まで飛んだのかが一目瞭然で面白いです。他の周波数を選べば10mや15mだけのQSO局やRTTYだけの局とかモード別の表示も可能です。 「Partial Log」ではカレンダーも表示させられますので*年*月*日〜*年*月*日までとかのQSOデータをExportする事も出来ます。また、このFileを印刷すれば160mだけのQSOデータをログ印刷する事も出来ます。(ちなみに私は2007年9月23日から160mで163局とQSOしていました)

 


  6月7日  

 

前に書いた中学生になって初めて買ってもらったラジカセの東芝「RT320F」をオークションで手に入れました。さすがYahoo!オークション。

時々思い出す度にオークションに出品されていないかチェックしていましたが有りませんでした。ところが先日たまたま出品されていた「RT320F」を見つけたのです! まさか約35年も前の同じ機種のラジカセが出品されるとは思ってもいなかったので見つけた時には我が目を疑いました。500円スタートでしたがもう1人競争相手がいて2,500円にまでなってしまいましたが、この機を逃すともう2度とお目にかかれないだろうと思い落札してしまいました。送料も含めると3,600円でしたが、まさにお宝をゲットした気持ちです。

テープが聞けないとかガリなど色々と難点はありますが、ラジオはAMもFMも綺麗に受信できます。まさしく「壊れかけのRadio」といった感じです。今晩は深夜放送でも聞いてみます。

 

 


  2008年4月18日 

御存知の方も多いと思いますが、初めて「Skype」をやってみました。Skypeは前から知っていて興味はありましたが、周りにやっている人がおらず手をつけていませんでした。先日JA9AA、円間OMから御誘いを受けてインストールしてみました。ヘッドセットも780円からあります。(私は密閉タイプの1380円のにしました)

一応「サウンドレコーダー」でマイクは機能しているみたいですが、相手がいないので本当に話が出来るのか半信半疑でした。円間さんからのメールで私を呼び出しているというので慌ててつないで聞いてみたら聞き憶えのある声がヘッドセットから聞こえて来ました。ハッキリと聞こえて来ますし、円間さんにも私の声がハッキリと届いているとの事で、1st QSOならぬ1st コンタクトが成立しました。なんやかんやで1時間程話し込んでしまいました。ラウンドQSOの様に複数の人とも話が出来るみたいで、WebカメラをつなげばTV電話の様に相手の様子を見ながら会話が出来るみたいです。

無線とは違い電話の様に双方向で会話が出来て何とも不思議な感じでした。便利な世の中になったものです。もちろん通話料金は掛かりません。


  7月20日

 

「ネット」というのはやはり便利な物です。中学生になって初めて買ってもらった「ラジカセ」が何だったか時々思い出そうとするのですが記憶の底に埋もれてしまって思い出せませんでした。当時はラジカセが流行ってオールナイトニッポン等の深夜放送を聴いたりしたものです。

確かメーカーが東芝だという事だけは記憶していたので「ラジカセ 東芝」で検索してみたら、「初期ラジカセの研究室」という面白いサイトを見つけました。その中の画像一覧のページで東芝のラジカセを探してみたら何か見覚えのある写真が..。東芝の「ACTAS RT320F」でした。間違いなく1973年の中学1年生の時に初めて買ってもらったラジカセです。当時26,800円もしたんですね。AM/FMだけなのでBCLは出来ませんでしたが何とも懐かしい気持ちです。試しにオークションで検索してみましたが残念ながら出品されていませんでした。皆さんも思い出の「ラジカセ」はありませんか?

 

 


  6月6日

以前から欲しかったスウェーデンキーをオークションで手に入れました。新品は最近国内でもエイチアンドエムで入手出来る様ですが、約4万円と高価です。海外から個人輸入も出来ますが、やはり結構な値段がします。たまたまオークションで「電鍵」で検索してみたら出品されていました。以前にも1〜2回出品された記憶がありますがそこそこの値段にまで吊り上がり断念しました。今回も8,250円でしたが8,500円で入札してみたらすんなり高値更新されました。残り1日あったのでこのまますんなり終わるとは思っていませんでしたが何故か8,500円で落札出来てしまいました。

初めて実物のスウェーデンキーに手を触れたのはもう10年近くも前のローカル局のお宅でした。長年プロの通信士として航海をされて来た方でしたが、その方が絶賛されておられました。確かに打たせてもらったら何とも言えない感触で、非常に打ち易かった記憶がずっと残っていました。(それまで縦振れキーといえばハイモンドのHK-704しか使った事がありませんでした)

送られて来たキーはなかなか年期が入っていましたが、かえって真鍮もほど良い色味に変色しており使い込まれて来た感じがしました。(シリアル・ナンバーなのか838と打刻されています) 打ってみるとやはり昔に打った感触その物で「カチッ、カチッ、カチッ」と非常に打ち易く感動しました。最近はほとんどがパドルを使用していて縦振れキーはホコリを被っていましたが、またこれで出てみようと思わせてくれます。真鍮磨きで磨かず、しばらくはあえてこの渋い色味のまま使用したいと思っています。


  5月19日  

去る5月2日に「THE JARL QRP CLUB」のイベントで国際QRPデー特別記念局の「8J1P/9」を運用させてもらいました。1日には越前市の固定から運用し、2日はあいにくの雨模様の中、お隣の「南条郡南越前町」に行って来ました。リグはFT−817の5W、アンテナは釣竿を支柱にしたフルサイズのDPです。午前中はあいにくのコンデションでしたがお昼頃から徐々に良くなって来ました。14時から所用があったので残念ながらコンデションが上がってきた頃にはQRTせねばならず55局と数は伸びませんでした。


  5月19日

父親と息子の3人で大阪へ行って来ました。事の始まりは偶然ネットで見つけたある慰霊碑のページ。「おおさか市内で戦争と平和を考える」という教職員組合の人が作ったサイトの中にありました。

昭和20年6月1日午前、B29が458機飛来し約1時間半に渡り焼夷弾による爆撃が行われ、この空襲で父の母(私の祖母)が亡くなったそうです。終戦後、和歌山から大阪に帰還した父も自分の家は無論、母の亡骸など見つけられるはずもなく、人伝えに血だらけで逃げ惑う母の姿を見た人がいたという事で命日は昭和20年6月1日となっています。ちなみに私の誕生日が昭和34年6月1日。その直後、武生に嫁に来ていた唯一の肉親である姉を頼ってこちらにやって来ました。

その慰霊碑は同年3月13日の大空襲と合わせて亡くなった2500有余の英霊を弔っているそうで、慰霊碑が建立されたのも私の生まれた昭和34年6月 (おそらく1日?) という事だったので、何か因縁めいた物を感じて父と息子の男3人衆でお参りする事にしました。

 

 

それと同時に、何年か前に父と母が大阪に行った際に見つけられなかった父の住んでいた家があった辺りも探してみようという事になり、港区役所と数回のメールのやりとりをして大体の場所を特定する事が出来ました。お役所には珍しく迅速丁寧な対応で昭和10年頃の地図や資料も郵送してくれました。偶然にもそこであろう場所は我が家と同業でした。3人で記念写真。

その後、例の慰霊碑に行ってお参りをし、そこでも写真を撮って来ました。良い天気でしたが慰霊碑に行くまでの約30分、突然雨が降り出してコンビニで傘を3本買ったのですが着いた頃には小降りになっていました。きっと遠い所から60数年ぶりに息子と孫と曾孫の3人がお参りに来てくれた祖母の涙雨だったのでしょうか..。 ずいぶんと歩き回って疲れましたが父も長年の胸のつかえが取れた様でした。


  2007年2月23日

 

2週間ほど前にWindows Vistaのパソコンを購入しました。2002年の1月に買ったセレロン1GHzのパソコンでもアマチュア無線やインターネットではさほど不便を感じなかったのですが動画やDVD関連で使うにはやはり力不足でした。今回はCPUがCore2Duo、メモリが1GHzなのでどれだけサクサク動くのか期待していたのですが、Vistaは1GHzのメモリではイマイチです。(2GHzは欲しい) 写真の様なエアロという画像処理が売りの様ですが無くても別に関係ありません。

19インチワイド液晶も安かったので合わせて買いましたが、画面の縦幅は17インチ液晶の方が大きいんです、知らなかった..。

とにかく、セキュリティーの強化なんでしょう、画面が薄暗くなって「継続しますか?」と聞いて来てやたらうっとおしい。使い勝手はまだ良く判りませんが、一応Logger32は動いているみたいです。スリープ機能で数秒で起動するのはFBです。

 

 

Vista機購入の条件に今までのセレロン機を息子に譲る事になっていたのですが、Vistaでは動かないソフトもあったり、今までの無線関係の配線のやり直しが面倒くさかったりでそのまま使う事にしました。

その代わりにオークションで写真の様なEPSONの15インチ液晶一体型のパソコンを買ってやりました。(セレロン900MHz、メモリ256MB、HDD20GB) 落札価格は何と8750円! 動作確認用にXPプロも入っていました。法人向けのリース落ちなのか同じ機種が何台も出品されていました。ところが、嫁さんにノートをいちいち出すのが面倒で「私が欲しい」と言って取り上げられてしまい、仕方が無く息子用にともう1台..。今度は7550円で落札出来ました。中古パソコンの価格破壊は凄いですね。