光照寺略縁起

遠く養老2年(718)泰澄大師が創立したとも伝えられのち真言宗となったが、時移って応永2年(1395)にいたり、正通(今当寺第1世)の代に真宗に帰依し、帰命山華蔵院光照寺と称した。
当時境内は五町四方あり伽藍の荘厳は、はなはだ見るべき大坊であったと伝えられているが、天正年間(1573〜1592)兵火により焼失、片屋村も焦土と化し、当時の住職 第5世 空心は難を避け、美濃国(岐阜県)本巣郡根尾谷に蟄居した。 その後、戦火がおさまり帰国し光照寺の再興を計ったが、累年無住の上門徒は離散し、これが復旧に多大の犠牲を払った。 第7世住職 正玄の時佛光寺派に属し、現住職(第20世) 昭英の時には老朽化の為、鐘楼そして平成16年には本堂の建て替えを行ない、法灯は脈々として相伝され今日に至っている。 現在一町四方にあまる境内と堂宇の規模は当地方における同派屈指の寺院である。
寺院名
真宗佛光寺派
   帰命山 華蔵院 光 照 寺
住 所
〒915−0893
福井県越前市片屋町第16号37番地
電 話
0778−22−3652
F A X
0778−22−3652

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